2013-12-01

巡礼での気付き

2013年12月1日(日)、この日に私達は、前年の2012年と今回2013年の巡礼と合わせて約850㎞の巡礼路を歩き終えました。

画像はクリックすると拡大します

巡礼の気付きこの写真の荷物が私達の巡礼のすべての荷物です。
この荷物を背負って、山を越え、川を渡り、いくつもの町を過ぎ、教会でお祈りをし、ミサを受けながら、歩きました。
巡礼は私にとって、人生を縮小して味わうようなものでした。

★荷物は軽ければ軽いほど楽に歩けます。
それは人生も同じ・・・・・

★そして、色々な巡礼者との出会い。
お互いに助け合ったり励ましあったっり・・・・
大体同じようなペースの人が、しょっちゅう会う人になり、次第に仲良くなって行くんですね。
しかし、ひとたび疲れたり足が痛くなるとペースダウンしますよね、自分が。
すると、気の合う楽しい巡礼者とも別れなければいけません。
そしてそのまま一生会うこともなくなってしまいます。
これも人生と同じ。

★そしてたった1回しか会うことのない巡礼者の多いことか!!。
ペースが違えばそれも当然です。
それも人生と同じ・・・・

★この巡礼の世界が他の世界と違うただ一つのことは、「足の引っ張り合い」がないこと。
だって、聖地に着くまでの競争をしているわけではありませんから。
だから巡礼者同士、困っている人居ればが助け合うのです。
皆が聖地に着ける・・・・それが巡礼者の喜びでもあるのです。
だから、お互いに共存する理想の世界が生まれます。
これ、もっとこの精神が世界に広がると、平和な楽しい世界になれるのに・・・・・

★巡礼は実にシンプルです。
やることは3つしかない!!。
「歩くこと」、「食べること」、「寝ること」・・・それだけです。
それに付随して、例えば「Albergue(アルベルゲ)」(巡礼者用宿泊施設)に着いたらシャワーを浴びて、洗濯をして・・・・腹が減ったらレストランを探したり・・・・自炊のための食料を食料品店で調達したり・・・・翌日のコースを地図を見ながら考えたり・・・・・
だから、日ごろの雑念は一切ありません。
ただただ「聖地」に着くことを心の中で思い描き、毎日を過ごすのです。
そんな生活だから、ほとんど「瞑想」に近いことをやっている感覚でしたよ。

そのせいもあるかどうかわかりませんが、今回私達は2年かけてこの巡礼路を歩きたおかげで、様々な「奇跡」ともいえる気付きがありました。

★それは「自分を責めることをやめること」、そして「執着を捨てること」。
そして最後の最後に気付いたこと・・・・
★それは「今を幸せに生きること」です。

第1の「自分を責めることをやめる」ことと第2の「執着を捨てる」ことは、今回の旅日記の最初に、私が「バルセロナの地下鉄の駅」で、気を失って倒れて頭を打ち、救急車で病院に運ばれたことの記事を書きました。(こちらを見てね)
もうスペインに来た時から、気付きの旅が始まっていたんですね。

そして最後の気付きの「今を幸せに生きること」は、この「西に果て」の岬に立った時に、パッとひらめいたんです。
そう、ここは前年にも来ているんですね。
でもそれは、支配人が足が痛くなり、歩いての巡礼を途中で断念せざるを得なくなった後、私達はこの岬まで鉄道とバスを使ってやって来たんです。
その時はもうなんだか悔しくて悔しくて、私は大粒の涙を出して「西の果て」の海を見ていたのを覚えています。
それから1年、今回の巡礼は、執着を捨て、ちょっぴり歩いていない(タクシーを使った)区間があるのですが、ほとんど歩いてやって来ました。
そして同じ場所に立った時は、楽しくて楽しくて・・・・♫♪
だけどその時にピンときました。
「この場所(西の果て)に立っている自分が居るという事実は同じ」なのだと・・・・。
ただそれがどのようにして来たかというプロセスが違うだけで、悲しかったりうれしかったり・・・・・

そして一番の気付きとは、色々なことが起こっているのは「今」だけであるという事実・・・・。
だって、未来のことはまだ起きていないし、過去のことは昔起きたことなので、「今」ではないよね。
だから、色々なことが起きるのは「今」だけなんです。
起きてもいない未来を想像して、「不安」に思ったり「心配」に思う人が何と多いことか・・・・・
心に思ったことは、それを引き寄せると言われています。
だから、「心配症」の人は、いつもその心配事が起きるので、余計心配に拍車がかかるのです。
「不安」に思う人も同じ・・・・不安がやって来ます。
キリストの言葉が聖書にも書かれています。
「恐れるな、恐れると、恐れたことがやって来る・・・」
その通りだと思います。
でも、色々なことが起こるのは「今」だけですからね。
起きてもいないことを不安に思ったり、心配したりしない方が良いと感じました。

つまり、「今」が幸せ・・・と言うのが一番良い。
考えてみれば、1年前にこの岬に立った自分は、巡礼路を全部歩けなかったという事実だけで、大粒の悔し涙を流したのです。
だけど、よく考えてみると、
これだけ長い休暇が取れて、しかもスペイン旅行ができるだけでも、十分幸せなはず。
それがただ「歩き切れなかった」ことだけに気を取られて、その幸せを感じることができないんですね。
これでは幸せではないですよ。
しかし、この岬に立っているということだけで見てみると、本当は幸せなんですね。

あ~~~、去年は馬鹿臭いことをしてしまった・・・・・!!!!

だけど、こうした前の年の巡礼があったればこそ、色々な気付きがやって来るのでしょう。
この時私はすべての神、そしてここに私を導いてくれたすべてのものに感謝しました。

聖地に眠るイエス・キリストの弟子のヤコブ様、そして巡礼路の様々な人たち、色々な巡礼者たち、私たちを助けたり、道を教えてくれた地元の方たち、すべての人と神に感謝いたします。
ありがとうございます。
私はこの「西の果て」で生まれ変われましたから。

関連記事